| おかげさまで今年、愛媛ヤナセ85周年を迎えることができました。 |
| 上田商會〜愛媛ヤナセ株式会社 |
| 〜その歴史を紐解いて〜 |
愛媛ヤナセ株式会社 (拠点名:メルセデス・ベンツ愛媛)は、今年で85周年を迎えることができました。
現社長の祖父にあたる、上田 卯平が「上田商会」を開業、現会長の上田 寛が引継ぎ、守り、地域の
皆様に親しんでいただけるショールーム、安心して乗って頂けるクルマ販売を目指して、平成2年10月1日
に「愛媛ヤナセ株式会社」に商号を変更いたしました。
平成17年、上田 寛社長が会長職となり、次男である昌治郎(当時 次長)が社長職に就任しました。
平成19年3月9日新社屋完成に伴い、拠点名を「メルセデス・ベンツ愛媛」に変更、現在に至ります。 |
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大正時代
大正9年に現会長の父、上田卯平がヤナセ四国営業所社員として
ビューイックやGMトラックを販売していました。
その当時、愛媛県内では、9台の「クルマ」がありました。
乗用車が2台。
トラックが7台。
乗用車の1台は、当時の県知事車
トラック7台のうち、5台は郵便逓送でした。
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大正11年 この年、上田商會が誕生しました。
当時「クルマ」の販売が思うようにいかず、今で言う脱サラをし現在の
立花町の自宅で、「上田商會」を開業。
オイル、グリスなどの部品販売やダンロップの代理店、GSバッテリー
の代理店を始めました。
初代社長の上田 卯平は下の段の向って右から2番目です。
中央の足を組んでいる人は、当時の番頭だったそうです。
昭和16年頃の写真 |
昭和18年
これまで順調にいっていた経営も、戦争により働いていた従業員が、兵隊にと召集されやむなく
休業することとなりました。
昭和22年
戦争が終わり、休業に追い込まれていた「上田商會」を再び開業しました。
昭和24年
「上田商會」から「株式会社 上田商会」とし、輸入物を扱うヤナセの代理店となりました。
昭和27年
立花1丁目の自宅から、千舟町3丁目に移転しました。
昭和28年
アメリカ軍の統制が外され、ガソリンの入手が容易になると、多数のメーカーがオートバイ
市場に登場してきました。
それに合わせて「上田商会」もライラックのオートバイや、ヤマハ発動機のオートバイの
販売を始めました。
昭和30年
外貨資金割当制度をもとに戦後初めて輸入車が再開されました。
報道や外国人向けの観光用として、抽選が行われ愛媛県に2台のフォルクスワーゲンタクシー
が登場することとなりました。
その2台のフォルクスワーゲンを受け取りに、現在のヤナセ本社がある芝浦へ行きました。
その当時の第一号車だったためか、納車式は現代では考えられないほど豪華な式でした。
花輪やテープカット、従業員総出のお見送りなど。
強く印象に残っていたそうです。 |
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昭和30年代頃の写真
当時の千舟町
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昭和33年
店舗を現在の本社 宮西2丁目に移しました。
この年からヤナセの特約店となり輸入車販売に力を入れていきました。
メルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲン、ビューイック、キャデラック、アウディなど。
当時の営業スタッフは2名、サービスメカニックは1名でした。
年間販売台数は11台で、この11台のほとんどがフォルクスワーゲンを販売していました。
現在主力のメルセデス・ベンツはというと、2年に1台売れれば良いというくらいのペースだったそうです。
サンプルカー(試乗車)は、大阪や東京のみでした。
なお、クルマを注文してから納車までにかかる日数は、早くて3ヶ月。一般的には半年後だったそうです。 |
昭和54年
現在の堀の内 市民会館大ホールを貸しきって「ウエダハイグレードフェア」を開催しました。
写真に写っている名車は・・・。
ゴルフTヂィーゼル/17CK アウディ100 300SE/W116
その当時は、数え切れないほどのお客様が足を運んでくださったそうです。
人、人、人でごった返していたそうです。
用品部が出していた、アクセサリーや、子供用のつなぎなどは、飛ぶように売れた時代だったとか・・・。
写真の中央に写っているのが、現会長です。
向って左端が初代社長の上田卯平。
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平成12年
当時は、いろいろな車種を扱っていました。
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平成17年
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当時、代表取締役社長 上田寛が代表取締役会長に就任し、当時次長であった
次男昌治郎が代表取締役社長に就任しました。
1984年4月〜株式会社 ヤナセ 銀座営業所勤務
1986年4月〜株式会社 ヤナセ 新宿営業所勤務
1989年4月〜愛媛ヤナセ株式会社入社
2005年11月 代表取締役社長就任
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平成19年
メルセデス・ベンツ専売化に伴い、拠点名をメルセデス・ベンツ愛媛に変更し
世界共通基準の新社屋を完成させました。
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